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ロングエンドロール
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エンドロールロングバージョン
モケーレムベンベ、2009年1月に結成。

Vo/Gt.井澤、Gt.ビンセント、Ba.原田、Dr.えなり。  4人組でした。

えなり、ビンセントと出会う前は井澤と原田の二人で、バンドメンバーを探しながら
駅前でゆずやコブクロをカバーし、路上ライブを繰り返す日々でした。


二人ともアコースティックギターで。


昼下がりのカフェで歌わせてもらったりもしました。
公園で遊ぶ子どもたちの笑顔が、噴水の水しぶきがキラキラと眩しかった。


この頃から『街灯の歌』『心めぐれば』などはやっていたと思います。(モケーレムベンベの1stアルバムに収録)

井澤と原田の二人は地元のライブハウス寝屋川VINTAGEに週7(時には週8)で通っており、
お互い別のバンドをしながら、まぁよく見かけるので存在は知っているが話したことは恐らく一度もなかったと思います。


当時の井澤は見事な角刈りに眼鏡。

そしていつも下駄を履いていました。


いろいろなバンドを転々としながら。

リードギターを弾いたり、ギターボーカルで歌ってたり。
ロックマンの歌とか、失恋の歌とか。


そして原田はバンドしながら最強にギャル男。(死語)

前身バンドではベースボーカルでした。

ヒョウ柄のストールにサテンのジャケット、先の尖ったヒョウ柄のブーツ、お尻に翼の刺繍の入ったデニム。
(かつみさゆりみたいな)
 
髪は盛りに盛り、伸びた襟足は腰まで届いたと言われております。


そんな二人はたまたま同時期にバンドが解散し宙ぶらりんの状態になり、

原田が「一緒にバンドやりませんか?」と井澤に声を掛けました。雑。


井澤は「おぉ、それはぜひに。」とまるで武士のような返事で即決。幕末志士かよ。


場所は確か枚方市駅の風月だったと思います。

自分で言うのもなんですが、どうみても絶対に変な組み合わせの二人だったと思います。


原田は前身バンドでベースボーカルだったのもあり、バンドを組んだら次も歌う気満々でした。

当初は井澤、原田で半々くらいで歌ってました。
「2番のサビは俺な!」とか言いながら。
(その後、徐々に原田のボーカルは減っていき気が付けば井澤がVo/Gt.になってました。)


「バンドを組んでライブハウスに出たい」というウルトラピュアな気持ちだけで

ひたすら路上ライブをしながら、 やがて先輩の紹介である男と出会うことになります。

先輩曰く



「別に上手くはないけど、面白いやつならいる。」


と。



Dr.えなり、ここで登場です。

僕たちは天王寺のスタジオで顔合わせをすることになりました。

すると、なんか、、もう一人いました。
えなり、一人で来るのが怖かったんでしょうか。

友達のギタリストを連れてきてました。

そんなことある?

えなりが連れてきたギタリスト。
 
彼の名はビンセント。


その日スタジオで何をしたかは忘れたけど、とりあえず適当に音を鳴らした。
この4人でバンド始めようぜ!となった。


そしてぶち当たる最初の壁。


「バンド名どうする?」


候補で上がったのが、

「メガネズ」

「E缶」

E缶(イーカン)ってロックマンのアイテム?らしいです。

井澤以外は苦笑いでした。

いや、、井澤も自分で苦笑いだった気がします。

数年後に知りましたが、えなりはどちらかの名前で決まればその場で脱退しようと思っていたらしいです。マジかよ。


まぁしかしバンド名が決まらない。 決めれない。
ここまで悩むともはや何が浮かんでも決めれないくらいまで悩みました。


そんなある日、友達が 、、、





「バンド名、モケーレムベンベで良いんじゃない?」




、、良いわけないじゃない?






でも、、
それに決まった。

モケーレムベンベ、ここに誕生。



初ライブは2009年8月18日(火)KYOTO MUSEでした。


そこから大阪、京都を中心にライブ活動を広げていきます。

いろいろなライブに出演させてもらって、ライブ終了後にはまぁとにかくよくダメ出しされました。

曲が長い!とか。

演奏が下手!とか。

MCがどうだこうだとか。

その度に原田は怒り狂って帰り道には

「俺らのカッコ良さがわからんならこの場所にもう二度と出ることはねぇ!!!」
と荒れに荒れ、それはもう毎度地獄の光景でした。

温厚なえなりも「うん!出なくていいでしょ!がはははっ」と仏の顔でバッサリ。

井澤は「むむー。」と困った顔をするだけ。

、、なんだこれ?

こんなことがしたかったのか俺たちは?


バンドって、、、

こんなん?




そんな日々の中、やがてたどり着いた場所。

それが天王寺ファイアーループ。

当時はJR環状線の高架下にありました。

ライブ終了後に

「俺、モケーレムベンベのファンやから!」

と当時のBARカウンターのお兄さんが言ってくれたことが嬉しくて今も忘れられない。
本当に嬉しかった。 (ラウンドヘッドというバンドのベースの人)


そして同じくらいの時期にアメ村新神楽のブッキングの方から

「僕、モケーレムベンベ大好きなんすよ。」と出演のオファーをいただいた。

高橋さん(通称:ひでちゃん)

僕らは天王寺ファイアーループ、そしてアメ村新神楽でたくさんライブするようになりました。

初めて新神楽に出演した日は2011年7月22(金)だったと思います。

この日の対バンは


bacho
夕暮レトロニカ
3markets(株)
The Spring Summer
THE ANTS
モケーレムベンベ
TOMBOY
 
 
いやはや、恐ろしい。

言うまでもなくバチボコにやられた日でした。

見事なテクニカルノックアウト。
いや、あのライブの日からよくまた立ち上がったよな。




やがてモケーレムベンベとラウンドヘッドの2バンドでスプリットCD
「ストロマトライト」をリリースします。

そして、、 この「ストロマトライト」のレコーディング直前、たしか一週間くらい前にGt.ビンセントが脱退。

ビンセントはスタジオに30分くらい遅れて入って来て、扉の前に立ってました。

井澤、原田、えなりの3人は演奏してた曲を止めずにそのまま一曲演奏を続けました。

『ラスコーラ』って歌でした。 (「ストロマトライト」に収録)

ビンセントはなんともいえない、でもなんか優しい、良い顔で、
3人の演奏をスタジオの隅に座り込んで聴いてくれていたのを覚えています。

こんな時ってなんか、なんかもう、、わかってしまうものですよね。


そして曲が終わり、立ち上がって
「俺、モケーレムベンベ辞めます!」って言って、辞めました。


「流れてく10代の感じが弾けていた コンクリート溶かすって噂もあったっけな」(『ラスコーラ』より)


モケーレムベンベの中で大きな何かが終わり、始まった瞬間でもありました。



かくしてレコーディング直前にモケーレムベンベは突然今に続く3ピースバンドになったわけです。

ビンセントとまたいつか4人で、と僕たち3人は今でも心のどこかで思ってしまいます。
※理由...彼が好きだから


そして迎えた2011年11月11日(金)天王寺Fireloop2001、ラウンドヘッドとのレコ発2MAN。
急ピッチでスリーピースで迎えたライブは大絶賛でした。

そこからラウンドヘッドと初のリリースツアーへ。

ツアーファイナルは2012年3月17日(土)天王寺ファイアーループ。


モケーレムベンベ×ラウンドヘッド企画「ファイナルストロマトライト」
メガマサヒデ
つちのこ
The Apple Stung
国吉亜耶子and西川真吾Duo
ラウンドヘッド
モケーレムベンベ 
 
 
 
 
 
 
 
 
国吉亜耶子and西川真吾Duoの『どうかこのまま』という歌の中にある言葉。
 
 
「心ある嘘の中のやさしさを見つけたら...」
 
 
当時からなーんか好きで。
 
なんでしょう、こう、、
 
あの頃も、そして今も、全てを理解できているかはわからないけど、それでもスッと入ってくるような。
 
 
時間が経って、2022年ももうすぐ終わり。
 
「心ある嘘の中のやさしさ」
 
この言葉にめちゃくちゃ救われたりもしました。
 
 
 
 
思えば国吉さん、西川さん、もう随分と会ってないな。
 
でも、ずっとそばにいてくれてるような感覚が今もあります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

友達と呼べる、いわゆる「バンド仲間」みたいな存在が多くはなかった僕達でしたが、 新神楽で毎月のように、
いや、もはや毎週のように対バンしてあるバンドと仲良くなりました。


それでも尚、未来に媚びる


もし彼らと出会っていなかったらモケーレムベンベというバンドはもう無かったかも知れません。
話すと長くなりますが、新神楽で彼らと出会えたことで今日のモケーレムベンベがあります。


やがて モケーレムベンベ×それでも尚、未来に媚びる共同企画「にんげんっていいな」を2013年11月29日(金)に新神楽で開催。

それ媚び×モケーレでスプリットCDも作りました。

モケーレは『レインボーロード』という曲を。
それ媚びは『浅き夢見じ』を収録。


イベントは熱く熱く盛り上がりました。
 
 
その後「にんげんっていいな」はvol.2、vol.3、vol.3関東編、
そして2021年の「にんげんっていいな FOREVER」へと続いていきます。


この頃のモケーレはライブのステージでSE(登場曲)を止めてから
最初にBa.原田が浜崎あゆみの「SEASONS」を1コーラス歌ってからライブを始めてました。

フロアからは

「早よやれや!」

「長いねん!」

「アホ!」

の怒号が飛び交っておりました。
今思えばあれこそダメ出しされるべきですね。

ところが
 
「意外と原田歌えるやん」 
 
となぜか原田ソロの弾き語りのオファーもいただいたりしました。なんでやねん。
 
全て断りました。(それはそれでなんやねん)


一定の期間が経ち、そのスタイルに原田本人が疑問を持ち始め、
やがて井澤に「ごめん、ライブ前にあゆ歌うのやめていい?」と相談。


「おぉ、いますぐやめなはれ。」

井澤の即答にてやめることになりました。(なんやってん)






2014年6月28日(土)「にんげんっていいなvol.2」
第二弾スプリット音源も発売しました。
モケーレは『百々色片想い』を。 それ媚びは『約束の場所』を収録。

開催延期からお互いに、、いろいろとありましたね。

今も、何かしらで会う度に「にんげんっていいな」の話を大体毎回してます。

それ媚びとモケーレの2MANライブ。 開催をお楽しみに。





「こんなに小さな願いも届かず 見えない未来へ、僕を宜しく あなたと僕の夢物語 浅き夢見じ忘れられずに」
(それでも尚、未来に媚びる/『浅き夢見じ』)






モケーレムベンベ初の自主企画は2011年8月19日(金)十三FANDANGOでした。
イベントタイトルは「街ビトキタル」

モケーレムベンベ
いおかゆうみ
ラウンドヘッド
Sentimental Toy Palette
3markets(株)


『ふらふら道中/イデオロギーなし』のシングルのレコ発でした。



そしてシングル『ループ・ザ・ループ/ブラックセイバー』のレコ発企画として開催されたのが、
その後2022年vol.14まで今なお続くモケーレムベンベ自主企画「ベアフットエイジーズ」でした。

日本語にすると井澤曰く「裸足の年代」だそうです。

「子どもの頃って例えば50メートル走とかで裸足の方が速く走れる、みたいなのがあって、、」
うんぬんかんぬん。
 
 
 
まぁ確かに短距離走るときは裸足になったな。
 
でも多分ちゃんとしたシューズ履いた方が速いし、安全やし。
 
今ってどうなんやろうね。
 
裸足禁止、とかあるんかな?
 
 
 
 


ベアフットエイジーズ、記念すべき第一弾は2014年4月29日(火)天王寺ファイアーループでした。
 
出演は
 
モケーレムベンベ
ナードマグネット
シンガロンパレード
DABIDE's fire
ぐりーんぴーす
 
 
シンガロンパレードはベアフットエイジーズ開催前に京都VOXhallで初対バンしてまだ出会ってすぐでした。

「シンガロンパレードってめっちゃカッコええバンドが京都におるから、
今度VOXで対バンやし会ってみて良い人らやったら企画に誘おうや」と原田が。

いや「良い人らやったら」ってどの口が言うてんねんですよね。

そして、出会ったその日から僕らはそのままストレートにシンガロンパレードの音楽も人も大好きになり、
ベアフット以外にも一緒にツアーに行ったり、今日までたくさん対バンしました。

「良い人らやったら」とか言っていた原田が結局彼らに今まで何度迷惑をかけ、
そして何度助けてもらったことか。とんだ大馬鹿野郎です。


シンガロンパレード、もしかしたら一番対バンしたかも知れません。
モケーレムベンベを語る上では無くてはならない存在です。

また彼らとたくさん旅に出たいものです。
 
 
 
「神様に選ばれた僕らじゃないけれど ここに無くしちゃいけないものがあるみたいなんだ」
(シンガロンパレード/『化けの皮』)
 
 





そして、同じ年の9月13日(土)にベアフットエイジーズ2を天王寺ファイアーループで開催。

『顔面セーフ/サムシングエルス』のレコ発でした。
 
 
 
モケーレムベンベ
GRIKO
uのリズム
Moccobond
ブリキオーケストラ
 
 
ここで出演してくれたブリキオーケストラ。
ボーカル多々羅さんは高校生の頃から憧れの存在でした。

原田は高校生の頃にライブに行ってもビビりまくって全く近寄れず、挨拶もできなかったことを思い出します。
多々羅さんこそが俺達のロックンロール。

イベント当日、とても優しく接してくれて緊張と喜びで溢れていました。

ちなみに『顔面セーフ』のサビは さよならポエジー、カサネイロでベースを弾いている
岩城弘明君もコーラス参加してくれています。

弘明は朝早い時間からコーラス録るために遠くのスタジオまで来てくれたのに
原田は大寝坊したのを覚えています。とんだ大馬鹿野郎です。

で、その時は「交通渋滞で...」と嘘ついたのでこれの公開により寝坊だったことがバレます。
ごめん。
 



そしてその翌年。 1stフルアルバム『NO LIFE, NO MUSIC.』をリリース。
DVDサイズのケースで素敵なパッケージ。

ジャケットイラストはドブロク寛司さん。

モケーレムベンベといえばこのアイコン。
今も気に入ってます。   

レコ発は2015年7月25日(土)天王寺ファイアーループでした。

モケーレと名古屋を繋いでくれたと言っても過言ではないnothingman。
初めての対バンはVOXhallやったかな。

「新栄ルーレット」というnothingman主催の名古屋サーキットにもモケーレムベンベを呼んでくれました。
名古屋、また行きたいなー。
 
 
 
「明日のことを考えてみたんだ どうしたらもっとあなたと過ごせるかな これからも続く悲しい出来事を いつか笑えるなら僕はあなたと笑いたい」
(nothingman/『天気予報』)
 




そして迎えたベアフットエイジーズ3。
 
2015年12月10日(水)天王寺ファイアーループ。

モケーレムベンベ、それでも世界が続くなら、みるきーうぇいとの3MANライブでした。

それぞれのバンドの想いがステージから少しずつゆっくりとじっくりとフロアへ染み込んでいくような、
そんな不思議な感覚だったことを覚えています。



その2日後やったかな。
それせかとツアーで広島に行きました。


広島4.14というライブハウス。
その日、僕らは、いや僕は、思うようなライブができず、、もう本当に悔しくてたまらなかった。
トリのそれせかのライブのステージも直視できないくらい落ち込んでしまった。


そして本編が終わり起こる、アンコール。


「せっかくもらったアンコールだけど、、、モケーレの原田君に唄っていいかな?
また俺らここにライブしに 来るから、皆がくれたアンコールはそん時に返すから。」

ボーカルの篠さんはそう言って、歌ってくれました。

ライブが終わった後、汗だくの篠さんが楽屋にいてピースサインしながら笑いかけてくれました。   
 



「くだらない僕が くだらない君に こうやって くだらない歌を歌ってる こんな光景が 僕にはまだ くだらないと思えないでいるだけ」
(それでも世界が続くなら/『2月11日』)
 
 
 
 



そして年が明けた2016年2月7日(日)にベアフットエイジーズ4。
 
天王寺ファイアーループ。
 
モケーレムベンベ
3markets[]
明日、照らす
the senca
ハンブレッダーズ
 
 
そしてO.A&ゲストコーラスにいおかゆうみ。
 
いおかゆうみちゃんはレコーディングにもコーラスで参加してくれていて
この日ゲストコーラスとしてモケーレムベンベのステージで
『ハッピーデイズ』 という曲をアコギを弾いて一緒に演奏してくれました。

楽しかった。

音源では『星を見るひと』という曲でも彼女のコーラスが入っております。
 
 

ゆうみちゃんと原田は高校生時代から知り合いでした。

違う高校でしたが朝に通学路ですれ違って「よ!」ってよく挨拶してました。

原田がとにかく派手で巨大だったせいで1キロ先からでも
 
「あ!原田や!」

とわかったそうです。

んなアホな。


ゆうみちゃんはサンボマスターのコピーとかやってましたね。これで自由になったのだ。

なんかメンバーのみんなも元気で好きでした。

そんな可愛い制服姿のゆうみちゃんもすっかり大人になって、今では母親なんですって。

おじさん泣いていいですか。
 
 
 
 





そして、春。
 
2016年4月30日(土)天王寺ファイアーループ。
 
ベアフットエイジーズ5。
 
モケーレムベンベ
もるつオーケストラ
サイケデリックハートブラボーズ
LADYMAID
ダイバーキリン
 


ダイバーキリンといえば、ギターボーカルのジョン君が
「世界で一番良い顔でライブを楽しむ」ことで有名です。


モケーレムベンベに『きせつのかわりめ』というタイトルの曲がありますが、
元々これはダイバーキリン主催のイベントタイトルなんですよね。

使用許可もらったっけ?

いや、もらってないかな。


歪んだギターが大きな音で鳴ることにどこまでも純粋な優しい友達。
 
 
ダイバーキリンの『さよならサンデイ』という歌がめちゃくちゃ好きです。

イントロのギターが鳴った瞬間、空でも飛べるような気持ちになる。

いろいろ引きずりながら、でも、それも、まぁ、、悪くないかなって気持ちになる。






季節を越えて年末。
 
2016年12月9日(金)天王寺ファイアーループ。
 
ベアフットエイジーズ6。
 
モケーレムベンベ
soratobiwo
脳内麻薬ズ
JUNIOR BRETH
みるきーうぇい
 

soratobiwoとはもうかなり長いお付き合いになりました。

が、最初の出会いが全然思い出せません。

後に原田が一度サポートでベースを弾いたり、京都nanoで2MANライブをしたり。

nanoでやった2MANライブ、楽しかったな。

「合体!ソラトモケーレム・ビオベンベ」 イベントタイトルは勝手にこれに決まってました。
「合体!」て。

soratobiwo主催の「お魚フェス」にモケーレムベンベを毎年呼んでくれたり。

あなたが夏。

俺たちの夏。

一生友達やと思います。
 
 
 



また一つ年を越えて、春。
 
2017年3月17日(金)天王寺ファイアーループ。
 
ベアフットエイジーズ7。
 
モケーレムベンベ
ベランパレード
シンガロンパレード
レベル27
 


レベル27の『27才』という曲はMVにモケーレムベンベ3人とも実は出演させてもらっております。

MV、たくさんのバンドマンがいっぱい出演してるのになぜかえなりをめちゃくちゃ取り上げてくれてるんですよね。

MV公開された時もなんか「えなりを探せ」みたいな企画してくれてたっけ?

すごく嬉しかったな。 えなりも照れてたけど、嬉しそうでした。

雲州堂という場所でライブをした時にこの『27才』という曲を
モケーレでアコースティックカバーさしてもらったことがありました。
 
 
 
 
「よくある歌から10年たった 27才に僕はなった やるしかないのです 諦められないなら」
(レベル27/『27才』)
 
 




2017年6月16日(金) ベアフットエイジーズ8。

天王寺ファイアーループ。

東京からSentimental boys。

the coopeez、カトキット、work from tomorrowの3バンドが京都から。

ワーフロ、カトキット、一緒にツアーに行ったり、たくさん対バンしました。

the coopeezはモケーレムベンベが練習で使ってるスタジオでMVが流れていたのをきっかけに知りました。
 

スピーカーから歌声が聴こえてきて、、

なんと言いますか、、

いや、もはや説明できそうもないんですが、、
 
あの時から歌声が突き刺さったままなんです。
 

ベアフットエイジーズに出演してもらうことは一つの夢でもありました。
また一つ夢が叶った日でした。
 
 
 
 
 
「君を知る事は 自分を知る事さ 自分を知る事は 君を守る事さ」
(the coopeez/『ファイト・ザ・マイセルフ』)

 
これからもずっと、突き刺さったままでいい。
 







2017年9月15日(金)天王寺ファイアーループ。
 
ベアフットエイジーズ9。
 
モケーレムベンベ
The BEG
work from tomorrow
シンガロンパレード
 


この日はミニアルバム『人間性の問題です』のレコ発でした。

それにしてもなんちゅうタイトルのアルバムやまったく。

ジャケットは引き続きドブロクの寛司さんが描いてくれました。

モケーレムベンベのロゴ、今もずっと使わせてもらってます。

The BEGのイシカワ君、この日のステージで何度もベアフットエイジーズの名を叫んでくれていました。

その光景がなんとも嬉しく、美しかった。 
 
普段は冷たいくせに。 あ、ツンデレ?(死語)









リリースを記念してモケーレムベンベ初のワンマンライブも開催できました。
 
2017年12月17日(日)でした。







ファイアーループがパンパンに埋まった。


みんなずっと良い顔で観て、聴いてくれてた。


泣いている人もたくさんいてくれた。


泣いて笑っての繰り返しでした。


その光景の中。


なんか、

あー、、いろいろと思い出した。










曲が長い!とか。


演奏が下手!とか。


MCがどうだこうだとか。










「俺らのカッコ良さがわからんならこの場所にもう二度と出ることはねぇ!!!」








「出なくていいでしょ!がはははっ」






「むむー。」






「  、、なんだこれ?」





「こんなことがしたかったのか俺たちは?」





「バンドって、、、こんなん?」








そんな今までの、


あれや、


これや、



それや。
 



全部がブワっと溢れ出してくるような感じでした。















自分達のライブで泣いてくれる人がいるってことが全てな気がした。













 
大阪ワンマンは昼公演で、夕方には帰りの電車に乗っていたのですが、
ほんの数駅の間に寝てしまって、目が覚めたらなぜか奈良にいました。
 
鹿たちもビックリしていたと思います。
 
 
 
急いで大阪へ引き返し次の日、ライブのため朝一で札幌へ向かいました。
スケジュール管理はちゃんとしましょう。
 
 

札幌にも待ってくれている人たちがたくさんいてくれて嬉しかったな。





年が明けて2018年2月18(日)には初の東京ワンマン。

会場は新宿ロックンロール以外は全部嘘。

チケットはソールドでした。


帰り道、原田の提案でどっかのサービスエリアで恐らく初めて3人でご飯を食べました。

いつもバラバラに行動するんですが、東京ワンマンも成功してまぁ今日くらいは、、と思っての3人でご飯でした。
原田が辛辛魚(めっちゃ辛いカップ麺)をおススメしてえなりが体調を崩しました。
 
 
えなり即退席。
 
 
井澤も「おー、これはあきませんわ」と途中退席。
 
 
原田一人になりブチ切れ。
 
散々なパーティーでした。
 
 
 







2018年6月20日(水) 3rdミニアルバム『↓ため↑+K』をリリース。



これ「シタタメテウエトキック」と読みます。

なんちゅうタイトルのアルバムやまったく。 誰が読めるねん。
こちらもジャケットはドブロク寛司さん。

タイトルはなんのこっちゃわからん人も多いと思いますが簡単に言うと
「これが俺たちの必殺技だ!どーん!」
って気持ちで出したアルバム!!!
 
※興味のある方は[サマーソルトキック コマンド]で検索してみてください
(多分してもわかりません)
 
 



この時でモケーレムベンベ結成9年くらい?

『↓ため↑+K』もリリースツアーをたくさん回って、
迎えたツアーファイナルがベアフットエイジーズ10でした。
 
2018年12月7日(金)南堀江knave
 
モケーレムベンベ
レベル27
メメタァ



3MANライブ。

レベル27と再び。


そしてメメタァ。

初めてライブを観た日にCD全部買いました。

一緒にたくさんツアーも回ったし、いつもそばにいてくれるバンド。

メメタァ主催サーキット「メメフェス」にもモケーレを何度も誘ってくれた。

たくさん一緒にライブをした中でも池袋Admでのメメタァ×モケーレムベンベの2MAN。
「柄メガネ将軍」というイベントタイトルでした。

ロックンロールは僕を幸せにする、それをメメタァのみんなが全部の音で全力で届けてくれた。
あの日のことは一生忘れないな。
 
 
いつだって前を向いて歩き続けられたらいいなって思うけど、やっぱりそうもいかない事もあって。
 
むしろ上手くなんていかない事の方が多かったりもして。
 
そんな時に、背中を押してくれるなんて言葉じゃ、支えてくれるなんて言葉じゃ、とても足りないけど。
 
 
 
 
「俺にはメメタァがいる!!!」
 
 
そう、メメタァがいてくれる。
 
 
 
 
「明日から何かを始められなくても 何かを変えられなくても 今日までやってきたことを ずっと続けてきたことを
明日も今日と同じように続けることができたなら それが全てだと思った 胸を張れ僕の日々よ」
(メメタァ/『インスタントソング』)
 
 
 
 
 
 
 





迎えた11回目のベアフットエイジーズはモケーレムベンベの記念すべき10周年。
 
2019年5月9日(木)南堀江knave。
 
モケーレムベンベ
Bacon
meh meh white sheeps
橙々
 


後にモケーレムベンベをサポートしてくれるBaconのアルさんと対バン。

原田は対バンの度にアルさんのドラムの話をしていました。

打ち上げでもしょっちゅうアルさんを捕まえてはドラムの話をしました。

「いやベーシストとベースの話してこいよ。何でベースの原田が俺のドラムの研究してんねん。」
って何度も笑われました。

でもいつも最後まで話してくれました。
 
カッコ良くて、優しくて、、(あと死ぬほど音がデカい)
 
のちにモケーレムベンベのサポートしてくれるなんて、夢のようでした。






ミニアルバム「通りすぎる町」レコ発。
 
2019年9月21日(土)南堀江knave。
 
ベアフットエイジーズ12。

soratobiwoとベランパレードとモケーレムベンベ、3MANでした。

ベアフットエイジーズ7以来の宮崎からベランパレード。

モケーレムベンベも宮崎でライブしました。

その時もベランは対バンでボーカルあび君が
『レインボーロード』を歌ってくれたの嬉しかったな。

彼が歌うと彼の歌になるねん。

素敵やん。
 
 
ベランパレード、初めて観たのはたしかファイアーループ。
 
対バンやったか、見に行ったか、、忘れた。
 
ベランの歌はいつだって、誰かを想うときにずっと付きまとってくれる。
 
 
 
 
「毎日夜の世界で君の顔思い浮かべて それだけで僕は光を思い出す」
( ベランパレード /『パン』)
 
 
 
 

迎えたリリースツアーファイナルがベアフットエイジーズ13。
 
2020年2月24日(月)南堀江knave。
 
モケーレムベンベ
メメタァ
Transit My Youth
カネヨリマサル
COSMOS


メメタァ、そしてメメタァとのツアーの中で大好きになったTransit My Youth。

ボーカルのモリノ君が言うには対バンの日、終演後に酒に酔った原田がドカドカと近付いてきて

「なんや自分えらいしらこいな。仲良ぉ〜しよや。」

と一番やったらアカン絡み方をしたのが僕たちのスタートだったそうです。

ごめん、覚えてない。
 
どんなキツい関西弁使ってんねん。
 

出会い方はどうであれ、結果的にモケーレとトランジットは仲良ぉ〜なりました。雑。


そしてずっと対バンしたかったカネヨリマサル、COSMOS。夢しかない素敵なツアーファイナルでした。
 



「あの日の事を 思い出にしてしまう それが腐る頃に日々は歌に変わる」
( Transit My Youth /『Scrap and Build』)






そして、ある日のこと。 えなりから。



「お話したいことがあるのですが、少しお時間もらえますか?」と。



この感じ、良い話なはずがない。

わかりやすかった。

まぁそれも彼のいいところ。
 
井澤も原田も一応「わからないふりをする」のが大変やった。
 
苦手やわ、ああいうの。
 
そしてえなりは一つずつ、ゆっくりと、話してくれました。
 
 
 





2021年3月5日 Dr.えなりの活動休止を発表。



3人で最後にライブしたのは3月20日。

アメ村サーキット「NOZFEST'21」でした。





先輩曰く、
 
 
 
 
 


「別に上手くはないけど、面白いやつならいる。」
 
 
 
 
 
 
3人で立ったNOZFEST'21のFANJ twiceのステージ。
 






その、、
 

あれから12年くらい?


ステージからみんなの顔がたくさん見えた。





ずっとライブに来てくれている人、たまに来てくれる人。


超久しぶりの人。


初めましての人。
 
 


今まで何度も対バンしてきた友達もみんな。






なんともいえない。
 
 
でもなんか優しい。
 
 
良い顔で。
 
 
 
3人の演奏を聴いてくれていました。







そのライブの2日後、3月22日『ok,allright. 』『不謹慎な話』を配信リリースしました。

この二曲がえなりの活動休止前の最後に3人でレコーディングした音源です。





えなりが活動休止して、井澤と原田でサポートドラマーを探しながら新たに活動始めます。

ドラマーにロココ君を迎えたサポート体制での初ライブ。

2021年5月1日「MISOJI RIOT2021」でした。

コロナ禍ということもあり、直前でイベントは無観客配信になりました。


生で観てほしかったし、またやりたいな。




そしてサポートドラマーにBaconのアルさんを迎えて活動を始めます。



初ライブは南堀江knaveでした。

soratobiwoから7月開催の「お魚フェス」のお誘いを受けて、
お魚フェスにどうしても出たいからその日サポートしてください!とお願いしました。


1分くらいで「ええでー。」と返事が来ました。早


7月に向けてスタジオに入って曲を合わせていくはずが、
なぜか予定より1ヶ月半くらい早い6月頭に南堀江knaveでアルさんバージョンで初ライブしました。
(なんでできたん?)

そしてモケーレはアルさんのウルトラサポートによりライブ活動を止めずにできるようになりました。



2021年8月にはアルさんとレコーディングもしました。
第二弾配信シングル『ビデオテープ/trepverter』をリリース。



『trepverter』はえなりともライブでやっていましたが
『ビデオテープ』はまだ作っている途中で、アルさんが完成させてくれました。




そして『ビデオテープ/trepverter』のレコ発でベアフットエイジーズ14を開催。
 
2021年9月17日(金)

会場は京都nano。
 
モケーレムベンベ
シンガロンパレード
Transit My Youth
メメタァ
 

チケットはソールドアウトでした。


今のモケーレを観てほしい。
俺たちメラメラと燃えてるんだぜって。
そんな気持ちでした。





ベアフットエイジーズ。
2014年4月29日から2021月9月17日まで14回。




そして2022年、夏。

再びアルさんサポートでレコーディングしました。

『ロングエンドロール/ステイインライト』の2曲。

この2曲は、アルさんのサポートになってから3人で1から作りました。
 


これが今のモケーレムベンベ。



僕たちのエンドロールは随分と長くなりそうです。

あいつもあいつもあの人もこの人もあの場所もあの歌も。
 


続きは、また書きます。
 
 


「エンドロールの続きは できれば誰かと知りたくて
僕らふらふら夜を照らす 愛も夢もてらわずに

エンドロールで流れる 楽しい歌が好きだったな
エンドロールで流れる 楽しい歌が好き」


 
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